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2023(令和5)年度
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@10千日回向開始 、現在・B10
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12 3 4 5 6 7 8 910←開始時
1・4/18〜 4/ 9 2・4/ 8〜3/30
3・3/29〜 3/20 4・3/19〜3/10
5・3/ 9〜 2/28 6・2/27〜2/18
7・2/17〜 2/ 8 8・2/ 7〜1/29
9・1/28〜 1/19 10・1/18〜 1/ 9
≫1/18/23(水) 初めまして211です。
今日の目覚めは最悪。死の予感、しかし新しい発見、何度あくびしようとしてもうまくいかない。それがきっかけで体に異変が生じてくるが確かめられた。医学的にどうであれ意識的にあくびを作り出している内に体調が戻っていった。確かにいままであくびの後何となく体に活力が戻ってくるような経験があったので、それを実際に適用したまでのことだ。日本には合気道とか気功術というのがある。仏教では臨済禅の祖のダルマが有名だが嵩山少林寺で少林寺拳法を創設し日本の柔術と一体化させた。剣道は少林寺拳法の剛法の延長線上にある武道といえよう。いろいろと武を極めれば、自ずと他者のいのちも尊重するこころが芽生えるのだが、ちょいかじりややったこともないものはつい野蛮だとか訳がわからんとかで排除する社会が広がると、その存在価値が集団の絆の深いところとつながりがあるのでその集団の存続を危うくさせることのもなる。だれも戦争を好まないが、危害を及ぼそうするものには相応に対処するのが自然であろう。そういう意味で世界標準の防衛費GDP2パーはありで国際的に連携し0を目指すが、いつ再び関係が悪化するとも限らないので武道はどの国も教育の中に継承していきたいものです。
≫1/17/23(火) 初めまして210です。
ユーラシア大陸の西と東で大陸での勢力を拡大しようと古くから超大国、ロシアと中国だが友好と敵対を繰り返しその勢力をロシアは西南へ、中国は東南へと勢力を伸ばそうとしていた。アメリカだけが隣国からの脅威に身をさらされないで分断されることなく発展できた。東アジアに近い日本がその混迷のアジアの秩序回復を願ったが、その頃も日本脅威論から日米大戦の結果、世界の警察的役割までも期待されることとなった。当時、中国も共産党と国民党の分裂状態であったが、日本の無条件降伏の結果統一することができた。ウクライナ侵攻で世界がどう見るかで、その後の状況が決まると考えると、中国の統一はゆっくり時間をかけ平和裏に推し進めてほしいものである。
≫1/16/23(月) 初めまして209です。
5はゴジラ、日独伊のような後発国が再び勢力が拡大しないように戦勝国5大国を平和維持を目的として作られた国連において常任理事国とし核保有が認められたが、その核の抑止力に着目し次々核を保有しようとする国が現れた。それは核の使用によって戦後の平和がもたらされたという事実を世界に認めさせる為であった。核が二度と使ってはいけない兵器であるという認識がその頃そこにはまだなかったからだ。今からでも遅くはない。国連の安全保障の内容を改変していけばいいだけのことだ。このときこそ核廃絶の契機になり得たのだが、戦勝国として核の必要悪で正当化できる有効期間は戦時中の世代が終わろうとしている今こそ終わりにすべき時がやってきたことを実行に移していくことが必要だ。元が修復されれば、その下位の紛争もたちどころに解消されると思う。
≫1/15/23(日) 初めまして208です。
今日はNHKの美の壺で日本の健康長寿を支える温泉で竹下夢二の世界の表現の原点である日本のもっとも美しかった大正ロマンを作り上げた金沢近郊の湯涌温泉を紹介していた。そういえば私の母の姉の葬式を終えた帰りに一泊したこといがある。母の少女時代に舞い戻った様だった。明くる日金沢の繁華街、香林坊のテラス喫茶で母の70年前を回顧しながらコーヒーを飲んだ。もう一度日本にこうゆう時代が訪れるにはどうしたらいいか、いま考えている。夢二のことばに「温泉がいろんな病気の絶大な治癒力を発揮することを考えるとまだまだ人類は医学の分野でも自然の本当の姿のほんのわずかしかわかっていないのではないか。」と綴っている。
≫1/14/23(土) 初めまして207です。
朝起きて何気なくアンドロイドTVでYOU TUBEを開いたらAIが勝手に、幼い頃見た黒澤明の“真空地帯”の作品を巻頭に出していた。敗戦間際の学徒出陣の大学生が“恐れ多くも天皇”ということばを再三吐いて正義をちらつかせる古参兵に痛めつけられる映画を久しぶりに見た。今見るのと当時見た時と全く異質な感情が沸き起こった。こどもの時は“こわい。長いものには従った方がいい”という感情、今は二度とこんな人間関係を作り出してはならない“という感情だ。正規非正規を区分した時期から教育界でも反省のないままいつの間にか再びこうした人間関係が作られてのではないかという危惧が感じられる。さらに自衛3法が成立したこともあり内部告発もしにくく、秘密守秘義務も強化されないよう大枠クリーンで推し進めどんな権力装置にも人権の視点を遵守してほしい。あの映画の系譜を野坂昭如“火垂るの墓”、大島渚“御法度”の遺作で締めくくった。私には世間に期待されるかっこよい死より中島みゆきの“地上の星”の死のほうがかっこよく見える。一番大事なのは今ある最悪の危機から目立たないけれど自分の持ち場で一つずつて直していくことから始めてほしいということだ。
≫1/13/23(金) 初めまして206です。
今日の目覚めは最高に良い。丁度8時間の就寝だ。夢も一切見ない。熟睡だ。こうした状況に至る過程を振り返ると自分にとって好循環の源泉は何であるかがわかる。美術作品もすべて自分が生きた奇跡の好循環の証明なのだから、中三の最後には卒業記念展というのも自分で勝手に構内の出来るだけ目立つところに展示することにしていた。そういう機会は文化祭でも取り入れた。その作品は私の性分上絶えずテーマを変えて作って制作した。自分にとって最後の退職間近の作品に透視図法を学習した後、それを精緻な表現の点描画に応用した空想画、それを新聞全盛の時代だったので膨大なチラシがついていたので、それをくるくる丸めて額縁にした(妻のアイデア)ので作品とのミスマッチを抱えたままの展示になった。残念ながら以前画用紙を折り込んで額縁を作ってポスカラでの透視図法作品と見栄えが随分違う。やはりポスカラの方が見栄えがいいらしい。膨大なチラシのリサイクルという意味もあったのだが、何となく不評だった気がする。しかし自分としては最高のパフォーマンスで最後を飾れたと思っている。
個々人のよい循環を繰り返すことで少しづつ世界はよい方向に向かっていくと信じる。
≫1/12/23(木) 初めまして205です。
退職間近にもう一つ考えたことがある、自分の今抱いた無意識を未来の世界ではどうなるかを知りたいということであえて大学院で芸術情報という分野を専攻した。その分野では日本でトップを走る先生にマンツーマンでその方面の最先端の研究の一端に触れることができた。世界で最初のコンピュータに画像を作り出し動画の草分けの教授(阪大)と、ホログラムによる立体画像の権威的教授(市大)、簡単に言えばことばと音楽の映画という動画と虚像と実像の橋渡しの絵画と彫刻の選択で最終は後者を選ぶこととなった。後者の教授の話では動物から進化を遂げるきっかけは二足歩行となることでエレクトスといって頭部が直立し四眼の眼を極限まで高めることであらゆる脅威から素早く逃げることができ、ことばの使用により集団知を高め技術を継承できるようになったとも考えられる。その後については私の考えだがその後の視覚優位のアルタミラのネアンデルタール人はあとからあらわれた、ことば優位のホモサピエンスに進化の座を奪われたが、遺伝子内に組み込まれたダダダダーンの運命を変えるネアンデルタールの血はさらに歴史的に偶然の進化を呼び起こしていると考える。日本における縄文とことばの精緻を極めようとする弥生の違いも関係するかもしれない。
≫1/11/23(水) 初めまして204です。
精神分析学入門で夢占いに夢中だった頃がある。今朝の夢は退職間近の学校で最初務めた頃と同じ感覚を覚えた教えることに幸福感に浸っていた時代に戻っていた。時代と自分が歯車がかみ合っていた頃に戻っていたと今から考えるとそう思える。しかしあのときの年配の同僚の多くが亡くなっている。今になって思えば自分の努力以外の後押しがあっての幸せの日々があったのだと思い返し、今日の散歩は快調で思わずランニングも時々入れながらの散歩だった。
≫1/10/23(火) 初めまして203です。
人間というのは欲望には限りがない。人間の一生も欲望と煩悩に振り回されている内に無常観にさいなまれる。その結果四苦八苦という苦しみの果てに死を迎える。命がけであればあるほど、成功と失敗は紙一重。それをお膳立てしてくれるのが都市という戦場。平和裏であれば人類に様々な恩恵をもたらすが、それが極限を超えると熱い戦争を引き起こすことにもなる。そこまで行かなくてもすんでのところでストップかけられる仕組みが至る所にある。わびさびの美学もその一つである。適度のストレスは活気を与えるが、行き過ぎると体への劇的打撃を及ぼす。今回のコロナパンデミックは最悪だ。
≫1/10/23(火) 初めまして203です。
人間というのは欲望には限りがない。人間の一生も欲望と煩悩に振り回されている内に無常観にさいなまれる。その結果四苦八苦という苦しみの果てに死を迎える。命がけであればあるほど、成功と失敗は紙一重。それをお膳立てしてくれるのが都市という戦場。平和裏であれば人類に様々な恩恵をもたらすが、それが極限を超えると熱い戦争を引き起こすことにもなる。そこまで行かなくてもすんでのところでストップかけられる仕組みが至る所にある。わびさびの美学もその一つである。適度のストレスは活気を与えるが、行き過ぎると体への劇的打撃を及ぼす。今回のコロナパンデミックは最悪だ。
≫1/9/23(月) 初めまして202です。
最近9時間就寝で目が覚めるので変な夢も見てしまうのか、今日の夢はいかがわしいところで、旧友に会い、呼びかけるも返事しないで去って行き、しばらくしてそこを立ち去ろうとするとお代はいいといわれ、理由を聞くもいってくれない。旧友が気を利かせて払ってくれたのか、全く昨日の続きでブラックボックス化している。現代にフロイトがいたならそれはこうなんだと説明してくれると思うが、ここに書くことで現実と虚構のつじつまが合ってくる様だ。千夜一夜の物語や源氏物語といった長文小説がなぜ何代もの人生が幽玄で耽美の世界を演出できたかをこのブログでの毎日入れ替わる千人の美女?のプロフィールとメッセージの内容から現実にはかなえられない夢を実現していこうと思う。
≫1/8/23(日) 初めまして201です。
中国で伝わる“二河白道”を昔紙粘土でブラックボックス上に作ったことが目覚め前の夢に現れた。今まで気力でいろんな苦難を乗り越えてきたが、ここから先はこれまでの道よりもっときりたった細い道を歩くことになる。実存哲学のサルトルの嘔吐のことばだけの世界異常にリアルな世界に突入した。このブラックボックスの課題は西暦2001年の丁度9.11の事件前後に2年生に今一番関心のあることを立体的に箱の中に作ってみようということで取り上げた。これまでの素材の粘土に変わる素材としてデジタル素材で創造するものがメタバース上に作られ現実世界ではできなかったことがどんどんできるようになるのを今後このブログで後押しできたらと思う。丁度一ヶ月このブログで前大戦の契機を語ったが、もう一つの契機が朝鮮半島にある。もともとそれぞれの人民は好むと好まざるとに拘わらずどこかの集団知の中に生まれ育っていくものである。朝鮮も日本と同じように独立し発展し世界と対峙するのが自然であるにもかかわらず、日本と異なり大陸と陸続きのためより大きな勢力に飲み込まれまいと古来から日本以上に耐えてきた経緯がある。一時期中国の属国から脱却できた感があるが、ロシアからの圧力を封じるため日ロ戦争で講和後も半島での中国も加わる紛争が東学党の乱を起こし対立を深めることとなった。まさに中国で伝わる“二河白道”を世界を現実の世界に露わにした一例だろう。
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